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柿谷曜一朗現在のJ3での年俸や髪型は?嫁の丸高愛実や怪我はどう?

柿谷曜一朗さんは、1990年1月3日生まれのプロサッカー選手であり、日本代表も経験しています。。
出身は大阪府大阪市であり、セレッソ大阪に所属しています。
ポジションは、フォワード・ミッドフィールダーです。

奥さんは、タレントの丸高愛実さんです。
一女の父でもあります。


柿谷曜一朗さんが名古屋への移籍を断念、チームに残留へ

名古屋グランパスから獲得オファーを受けていた柿谷さんでしたが、7月16日にセレッソ大阪への残留を決断していたことが分かりました。

柿谷さんは、ロティ―ナ監督となった今季には、開幕から8試合連続でスタメン出場するも、その後はコンディション不良などで控えに甘んじることが多くなりました。

練習後には、『決まったら自分から喋ります』とだけ話したそうです。

柿谷曜一朗さんの経歴

4歳からセレッソ大阪の下部組織で育ち、スクールからプロになるまでセレッソ大阪一筋の選手です。
2006年、追手門学院大手前高校在学中にクラブ史上最年少の16歳でトップチームとプロ契約を結びました。

2006年9月に、AFC U-17アジア選手権では、唯一プロ選手として大会に出場し、大会MVPに選出されるなど、優勝に貢献しました。
その後、11月の大宮アルディージャ戦でJリーグ初出場を果たします。

2007 FIFA U-17ワールドカップのナイジェリア戦で出場時間が900分に達し、プロA契約を締結しました。
この大会中も、フランス戦・ハイチ戦で得点を挙げ、最も素晴らしいゴールを挙げた得点者と評価されました。

しかし、2008年以降は横浜F・マリノスから途中加入した乾貴士さんの台頭もあり、出場機会は大きく減少していきます。
そして、2009年には度重なる練習への遅刻から徳島ヴォルティスへの期限付き移籍となってしまいます。

ただ、徳島への加入後は出場機会の増加に加え、周囲からの厚いサポートもあり、素行の問題は徐々に改善されていきました。
2011年には副キャプテンとしてほとんどの試合でフル出場を敢行するなど、獅子奮迅の活躍を見せるも、チームとしては4位に終わってしまい、J1昇格はなりませんでした。

2012年にはセレッソ大阪に復帰し、主に2トップの一角としてレギュラーに定着します。
リーグ戦30試合に出場し、チームトップの11得点を挙げるなど、Jリーグ優秀選手賞に輝く活躍を見せてくれました。

その活躍が認められ、2014年にはスイス・スーパーリーグのフースバル・クラブ・バーゼル1893への完全移籍となりました。
2015年には、プロ初のハットトリックを達成するなど、海外でも大きな活躍を見せました。

2016年には、2度目のセレッソ大阪への復帰を果たし、チームのJ1昇格に大きく貢献しました。




日本代表としても華々しい経歴を有しています。

東アジアカップ2013で、ザッケローニ監督率いる日本代表に初召集されます。
すると、第1戦の中国戦でデビュー戦初得点を、第3戦の韓国戦では2得点の活躍を見せ、日本代表の東アジアカップ初優勝に大きく寄与しました。
自身も大会得点王を獲得するなど、飛躍のきっかけとなりました。

この東アジアカップでの活躍が評価され、以降は代表に定着します。
新エースとして期待され、スタメンで起用され続けます。
しかしながら、なかなか得点に絡むことはできず、ハリルホジッチ監督以降はバックアップメンバーに選出されることはあっても、代表として召集されることはなくなってしまいました。


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